古代ギリシアの哲学者エピクロスは快楽主義(エピキュリアン)で知られています。

快楽主義と聞くと、「本能のままに快楽をむさぼれ!」というイメージになりませんか?

エピクロスが開いた学園であるエピクロスの園は男女共学だったそうです。

そのことも「人間の本能を満たすこと=快楽」と考えてしまうことを後押ししているような気がします。

エピクロスの園はこのようなイメージ通り、ナンパサークル的存在だったのでしょうか?

この記事では

・エピクロスの園とは何だったのか?
・エピクロスの生きた時代背景
・エピクロスの思想・哲学
・エピクロスの名言「隠れて生きよ」の本当の意味
・エピクロスの快楽主義の真の意味
・エピクロス派とストア派の比較

これらについての考察を行っていきます。

エピクロスの園とは?

エピクロスの園とは、その名の通り、古代ギリシアの哲学者エピクロスが35歳のときにアテネに開いた学校(大学)です。

当時のギリシアには

・プラトンのアカデメイア
・アリストテレスのリュケイオン
・ゼノンのストア
・エピクロスのエピクロスの園

これら4つの学園がありました。

アカデメイアが一番歴史があり、その次がリュケイオンです。

これらの学園は貴族の子弟を相手にしたエリート学校でした。

一方、ストアとエピクロスの園は庶民階級も入っていました。

古代ギリシアでは女性はほとんど奴隷と同じような境遇にあったのですが、そんな時代に珍しく、エピクロスの園は男女共学だったそうです。

だから、「乱交でもしてるんじゃないの?」的なアヤシイ噂もあったようです。

そのため、快楽主義というのが肉体的な快楽をむさぼる集団と誤解されているのです。

エピクロスの快楽主義は、肉体的な快楽を推奨しているわけではなく、恋愛は避けるべきだという戒律もあったとされています。

だからナンパサークルのように秩序が乱れた集団ではなかったのです。

快楽主義という日本語訳がマッチしていないような気がします。

では、エピクロスが説く「快楽主義」とは何なのかについては、この後、エピクロスの哲学・思想についての部分で書いていきます。

その前に、エピクロスの思想を理解するための助けとして、まずはエピクロスが生きた時代背景を見ていきましょう。

エピクロスの生きた時代背景

エピクロスが生きた時代は激動の時代でした。

エピクロスはイオニア地方サモス島の出身です。B.C.323年にアテネにやってきました。今でいえば上京するという感覚でしょう。

その年はまさに世界帝国を築いたアレクサンドロス大王が死んだ年でした。

ギリシアは都市国家(ポリス)単位で生きていましたが、アレクサンドロス大王はわずか数年で当時のギリシアをほとんど征服し、世界帝国を築きました。

今まで小さな世界で生きてきた人々が、突然異文化に触れていく状況です。

日本に黒船がやってきて、開国せざるを得なくなったような状況です。

そんな時代に生きている人々は、否応なしに価値観の変革を迫られるでしょう。

ギリシアのポリスにも異国文化を持つ人々の出入りが激しくなり、社会も急激に変わっていきました。

貨幣経済が急激に進化した結果、貧富の差も大きくなったのではないでしょうか。

もう個人の力では何もなし得ない世の中になっていったのです。

下層の人々は無力感にさいなまれたことでしょう。

政治に期待しても無駄という、今の時代のどこかの国と同じような状態になりました。

そんな世の中で、人はどう考えるようになるかというと、これも今の時代のどこかの国をイメージしていただければわかる通り、「社会なんてどうでもいい!自分がどう生きるかを考えなければならない」となってくるわけです。

そんな時代背景のもとに生まれたのが、個人の生き方を考える思想です。

その代表が「エピクロスの快楽主義」と「ゼノンの禁欲主義」だったのです。

このうち、エピクロスの快楽主義をもう少し詳しく見ていきましょう。

エピクロスの哲学・思想をわかりやすく解説

エピクロスの快楽主義は、いったい何を快楽としたのでしょうか?

最初に書いたように、実は肉体的な快楽を求めていたわけではないのです。

そうではなくて、エピクロスの言う快楽とは、身体的に苦痛を感じないように、また精神的に穏やかに過ごすことでした。

そのように心が平穏な状態であることを「快楽」と言ったのです。

この状態を「アタラクシア(心の平静)」と言います。

しかし、現代の日本を考えてもわかるように、例えば東京都心に住んでいたとしたらどうでしょう?

まわりには心を誘惑するものがたくさんあります。

そんな環境でアタラクシアを保てる人は少ないのではないでしょうか?

そう考えると、エピクロスの名言というか、残されている有名な言葉「隠れて生きよ」の本当の意味がわかってきます。

エピクロスの「隠れて生きよ」の真意は何か?

エピクロスの言う快楽とは「心の平静」です。しかし都会にはそれを乱す要素がたくさんあります。

だからこそ、エピクロスは「隠れて生きよ」と言ったのです。

エピクロスはこのような心の平静を乱すものから離れよといったわけです。

「隠れて生きよ」というのは、何も人里離れた山奥で隠遁生活を送れという意味ではないのです。

快楽主義という言葉と「隠れて生きよ」という言葉は感覚的につながりませんよね。

しかし、快楽主義の「快楽」とは何なのかを考えると、「隠れて生きよ」の真の意味がわかってくると思います。

エピクロス自身はなかなか社交的な人物であったようで、多くの人がエピクロスは「いい奴だ」と感じていたようです。

それを考えても、エピクロスが「人と接することなく生きよ」という意味で「隠れて生きよ」と言ったのではないことがわかります。

エピクロスの快楽主義は誤解されている

このように見てくると、エピクロスの快楽主義について意味を誤解している人は多いのではないでしょうか。

もう少しエピクロスの考えを見ていくと、彼の考えは私たち現代人も共感する人が多いのではないかと思います。

エピクロスの快楽主義は突き詰めて言うと、「今を楽しもうぜ!」という思想のように思えるのです。

説明します。

エピクロスは当時の人間としては珍しく(というか革新的)、神様を信じていませんでした。

信じていないというと語弊がありますが、信じるわけでもなく、否定するでもないという立場だったようです。

神様は別世界にいて、私たち人間とは関わりがないと考えたのです。

つまり神様が人間に罰を与えることもなければ、祈ったからといって幸せを与えてくれるわけでもない。

だから祈る必要もないし、恐れる必要もないということです。

神を信じる必要はないという考えを深めていくと、「死を恐れる必要はない」というところにつながっていきます。

エピクロスは原子論のデモクリトスの思想の系譜にある人物で、唯物論的な考え方をしていたのでしょう。

死んだら何もなくなる。

死んだら魂もなくなる。人間は消滅する。

死んだら我々は存在しないのだから、人間は死を経験できないことなります。

となると、死を恐れる必要はなくなります。

死を考えない=死後の世界はない、ということになりますから、ここからエピクロスは「今をとことん楽しもうぜ!」と考えたわけです。

これは私たち現代人も共感できる考え方ですね。

古代ギリシアって、テルマエ・ロマエとかを見てもわかるように、ギリシア・ローマ時代は下水道もあったし、公衆浴場もあったわけで、「古代」っていうイメージほど未開な社会ではなかったと思います。

むしろ中世よりも進んでいたのではないでしょうか。

ちょっと話がそれましたが、エピクロスの快楽主義は言葉が悪いために、誤解されている思想であることは認識しておいたほうがいいと思います。

エピクロス快楽主義とゼノンのストア哲学の比較

同時代に生きた哲学者であるゼノンのストア哲学(禁欲主義)についても見ておきましょう。

快楽主義と禁欲主義の比較をしてみます。

ゼノンはエピクロスと同時代の人物です(B.C.336~B.C.264)。

エピクロスと同時期にアテネで活躍した哲学者です。

ゼノンは禁欲主義を唱えました。彼が開いた学園をストアと呼ぶので、禁欲主義者たちはストア派と呼ばれるようになりました。

禁欲主義は言葉の通りでわかりやすいですね。

理性の力で欲望に心を動かされないようにしよう!という思想です。

アパテイア(不動心)を理想としていました。欲望に動かされるのではなく、理性に従って生きるということです。

アパテイア(不動心)を得るためには、徳を追求した結果として得られるものだとゼノンは説きました。

悪徳と闘い、徳を実践することでアパテイアが得られるのです。

ストイックの語源となっているだけあって、人生修行っぽいイメージが浮かんできますね。

エピクロスの快楽主義が誘惑から逃げることで、精神的な安寧を追求しようとするのに対し、ストア哲学では、悪徳との真っ向勝負を挑むわけです。

その勝負に勝つことで徳を実践し、アパテイアに至ろうということです。

考え方としてはカッコいいけど、なかなか疲れそうな思想ですね。

だからギリシアではエピクロスのほうが人気があったんじゃないかなと推測したりします。

しかし、ギリシアと異なり、ローマでは(特に支配者層では)ストア派の考え方に心酔する人が多かったようです。

支配者層がストア哲学を信奉し、禁欲的であったからこそ、ローマは1000年以上続く帝国であり得たのかもしれないですね。

エピクロスの快楽主義とゼノンの禁欲主義は、どちらも心の平静を目指す思想という点では同じですが、心の平静に至るまでのプロセスが異なるということです。

エピクロスは隠れる(逃げる)、ゼノンは闘う、ということです。

エピクロスの名言

最後にエピクロスの言葉とされるもののうちで、名言と言えるものを3つ挙げておきます。

「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」

「われにパンと水さえあれば、神と幸福を競うことができる」

「われわれが快楽を必要とするのは、ほかでもない、現に快楽がないために苦痛を感じている場合なのであって、苦痛がない時には、我々はもう快楽を必要としない」

この名言を見ても、エピクロスの快楽主義が肉体的快楽を追求する思想でないことはわかると思います。

以上、「エピクロスの快楽主義とは何なのか?」についての記事でした。