今回はイギリス経験論の創始者と言うべきなのでしょうか、フランシス・ベーコンについてです。

近代哲学の大きな潮流は2つありますが、その1つがフランシス・ベーコンにはじまるイギリス経験論です。

そしてもう1つが超有名なデカルトから始まる大陸合理論です。

この記事ではイギリス経験論のフランシス・ベーコンを取り上げます。

まったくの蛇足で恐縮ですが、「フランシス・ベーコン」というキーワードはどの程度の検索ボリュームがあるんだろうと思って、キーワードプランナーでチェックしたら、予想以上の検索ボリュームがありました。

でも、そのほとんどは、哲学者のフランシス・ベーコンではなく、アーティストのフランシス・ベーコンっぽいですね・・・

歴史に残る哲学者と同姓同名のアーティストって、なんかカッコいいですね!

すみません。どうでもいい話でした。

フランシス・ベーコンとはどんな哲学者?

まずはフランシス・ベーコンとはどんな哲学者だったのかについてみていきましょう。

フランシス・ベーコンは歴史に残る哲学者ではありますが、人間的にはかなり嫌な奴だったみたいです。

頭はキレるけど、友達にはなりたくないタイプだったのでないでしょうか。

それはこんなエピソードから知ることができます。

フランシス・ベーコンはとても出世欲の強い人間だったようです。

そのことが明らかになった事件がエセックス事件です。

フランシス・ベーコンは若くして国会議員になったのですが、彼の出世欲はそんなものでは満たされません。

当時のエリザベス女王の寵臣にエセックス伯という貴族がいたのですが、ベーコンは彼に頼み込んで、法務長官を目指します。

しかし失敗に終わり、法務長官にはなれませんでした。

エセックス伯はそのことを申し訳なく思い、ベーコンに自分の土地を提供したほど、ベーコンに親切だったのです。

少し時は流れ、イギリスはアイルランドに出征しますが、失敗してしまします。

この責任を負ったのがエセックス伯でした。

アイルランド出征の失敗でエリザベス女王ににらまれてしまったんですね。

エセックス伯は反逆罪に問われ審問されます。

この審問に立ち会ったのがフランシス・ベーコンです。

かつて世話になったエセックス伯の大ピンチです。

大恩ある人物のピンチにフランシス・ベーコンはどう行動したと思いますか?

ベーコンは、なんと、エセックス伯を助けるどころか、エリザベス女王の機嫌を取るために、エセックス伯を糾弾したのです!

自分の出世のために。

ムカつく野郎です。

でも、こんな人間に限って出世するんですよね。

まるで、東洋のどこかの国を見ているようです。

エリザベス女王の後のジェームズ王の時代に、ベーコンはどんどん出世して、大法官にまでのぼりつめます。

嫌な奴ほど出世するというのは、洋の東西を問わないようです。

しかし、ここからが面白い。

大法官に出世して3年ほどたったとき、ベーコンは裁判で賄賂を受け取った罪で罰せられ、職を失います。

因果応報ということでしょうか。

最後は失脚したベーコンが歴史上の大哲学者というのは、なんとなく納得いきませんが、人としてはダメでも、哲学者としては傑出していたということなのでしょう。

フランシス・ベーコンの名言「知は力なり」の本当の意味とは?

この時点で、フランシス・ベーコンについて語るのは嫌になってきましたが、偉大な哲学者であることは間違いないので、次回はその考え方をみていくことにしましょう。

次は→フランシス・ベーコンの哲学・思想②「知は力なり」の名言の真の意味