我思う、ゆえに我在り」という有名すぎる名言を残したフランスの哲学者ルネ・デカルトの方法的懐疑とは何かについて、わかりやすく解説します。

「我思う、ゆえに我在り」という考えにたどり着くために使った手法が方法的懐疑です。

方法的懐疑を解説する前に、「懐疑主義」についての理解を深めておくと、懐疑主義との対比で「方法的懐疑」がわかりやすくなります。

なので、まずは「懐疑主義」についてみていきましょう。

古代ギリシアからあった懐疑主義とは?

そもそもこの世に本当に確かなこと(真理)ってあるのでしょうか?

例えば「人を殺してはいけない」というのは普遍的な真理のように思えますが、戦争ではバンバン人を殺します。そして殺しまくった人がヒーローになったりします。

ちょっと話が極端すぎましたね。

では、ことわざで考えてみましょう。

「善は急げ」ということわざがあります。

良いと思ったことは、ためらわずただちに実行するべきだという意味ですね。

確かにこれは正しいと思えます。

しかし、こんなことわざもあります。「急いては事を仕損じる」

ものごとは落ち着いてやるべきだということですね。

「善は急げ」VS「急いては事を仕損じる」

どちらが正しいのでしょうか?

そう、どちらも正しいし、どちらも間違っているのです。

つまり、時と場合によって正しいことは変わるということです。

なにを主張しても、その逆も成り立つのです。

古代ギリシアの時代(2500年前!)から、すでにこのような考え方はありました。

世の中に絶対正しいことなんてない。すべては疑うことができる。

この懐疑主義を進めると相対主義につながっていきます。

相対主義を唱えたのが古代ギリシアの哲学者プロタゴラスでした。

相対主義(世の中に絶対正しいことなんてない。人それぞれ。)を武器に無敵の弁論術を教えていました。

そのような相対主義に異を唱えたのがソクラテスですが、それはまた別の話です。

まとめると、懐疑主義とは、「なんでも疑える。本当に確かなことなどない。」というものです。

デカルトの方法的懐疑とは?

デカルトはこのような懐疑主義を逆手にとって、本当に確かなことを見つけようとした哲学者です。

デカルトは数学者でもあったので、厳密に論を進める論理的思考が好きだったのでしょう。

デカルトはそれまでの学問は本当に確かなことに基づいていないので、本当に確かなことをもとに作り直さなければならない!と考えました。

そして本当に確かなことを見つけるために使ったのが「方法的懐疑」です。

なんでもかんでも疑うだけの懐疑主義ではありません。

「これは椅子ではない」「これは本ではない」「これはリンゴではない」

懐疑主義は疑うこと自体が目的になっています。

一方、デカルトは、「私たちが確かだと思ってきたことは何か?」からはじめます。

そしてそれを疑うことはできないのか?と考えていきます。

本当に確かなことであれば、疑うことはできないですよね。

これ以上疑うことができない=本当に確かなこと、というわけです。

「本当に確かなことを探す」という目的に達するための方法だから、方法的懐疑というわけです。

次回は、方法的懐疑を使い、デカルトがどのようなプロセスを経て、「我思う、ゆえに我在り」にたどりついたのかを見ていきましょう。