プラトンとアリストテレスの思想の違いを一言でいうと

●プラトンは理想主義者・観念論

●アリストテレスは現実主義者・経験論

一言で言うとこうなります。もう少し詳しくみていきましょう。

プラトンの思想

プラトンは80年という当時としてはかなり長生きだったので、考え方も途中で変わっていることがあります。

人間、年を取れば考えが変わるほうが普通ですからね。

しかしプラトンの主要な思想といえば、やはりイデア論になるでしょう。

イデア論については、こちらの記事でわかりやすく解説しています。

イデア論は簡単に言うと、二元論です。

イデアとは”本質”のこと。イデア界に本質があり、我々の世界で見ているものはすべてイデアのコピーなのだということです。

精神(イデア) ⇔ 物質(実体) この二元論です。

私たちは猫を見れば、毛の色や瞳の色や体の大きさが違っていても、すぐに猫とわかります。

なぜわかるかと言うと、猫のイデアを知っているからだというのがプラトンのイデア論です。

私たちが今見ている猫はイデアのコピーに過ぎないということです。

イデアは言い方を変えると理想のイメージとも言えるかもしれません。

アリストテレスの思想

アリストテレスはプラトンの弟子です。プラトンが開設したアカデメイア(今でいう大学)の生徒でした。

優秀な生徒でプラトンのお気に入りだったのでしょう。

しかし、アリストテレスはプラトン先生の哲学に疑問を持ちます。

「先生、イデアって言うけどさ、イデア界ってどこにあるの?イデア界が存在するって証明できるの?」

こう言ったわけです。

アリストテレスの考えはこうです。

イデア界なんてないよ。目の前にあるものをちゃんと観察しようよ!

難しく言うと、「感覚の中に存在しなかったものは、意識の中に存在しない」ということです。

さまざまな経験の中から真実を探し出そうとしたのがアリストテレスなのです。

この思想の違いによって、アリストテレスは結局アカデメイアを去ることになります。

さて、プラトン、アリストテレスの違いをより理解するためには、彼らが生きた時代背景を知っておくことが必須です。

プラトン、アリストテレスが生きた古代ギリシアはどんな時代だったのか。

プラトンの師匠であるソクラテスが生まれた少し前の時代から見ていきましょう。

ソクラテス・プラトン・アリストテレスが生きた時代背景

人は自由に考えているようで、実はその時代や所属する社会の影響を受けています。

ソクラテス・プラトン・アリストテレスも例外ではありません。

彼らが生きた時代のアテナイの状況を頭に入れておくことで、彼らの思想をより深く理解することができます。

最後に彼らが生きた時代のアテナイの状況を見ておきましょう。

ソクラテスが生まれる以前、ギリシアの都市国家(ポリス)は他国(ペルシア)と戦争をしていました。

3度にわたってアケメネス朝ペルシアが侵攻してきたのですが、いずれも退けることに成功します(BC492年、BC490年、BC480年)

その戦争で功を上げた都市国家がアテナイとスパルタでした。

これら2つの都市国家がやがてギリシア世界で台頭してきます。

アテナイとスパルタはそれぞれどんな国家だったかというと

●アテナイ・・・貴族政治から民主政治に移行していた

●スパルタ・・・全市民を戦士として訓練する軍事国家

まったく価値観の異なる国です。

アテナイではペリクレスという偉大な政治家が登場し、民主制を徹底させました。

さらに芸術など文化も育てます。

後にこの時代は黄金時代と呼ばれるようになります。

さて、そんな時代に生まれたのがソクラテスです。

ペルシアとの戦争に勝利し、アテナイが繁栄していた時代です。

ソクラテスの青年期はアテナイが最もよかった時代ではないでしょうか。

しかし、ソクラテスがアラフォーになる頃、アテナイとスパルタの覇権争いが勃発します。

ペロポネソス戦争です。

アテナイの民主制では市民全員が兵士として戦わなければならなかったので、ソクラテスも兵士として戦いました。

かなり勇敢な兵士だったみたいです。

ペロポネソス戦争が始まったのがソクラテスが38歳頃、終わった時には65歳くらいでした。

隣国と戦争状態にある時期にソクラテスは壮年期を過ごしたのです。

平和で理想的な民主制の世の中から、戦争突入を経験したのです。

今の時代に生きる私たちも想像すればわかると思いますが、平和で理想的な時代には、人々はどんなことを考えるでしょうか?

日本でいえば高度成長期。所得がどんどん上がっていく状態です。

心に余裕があるので、明るい未来を考えますよね。

そんな状態から一転してバブルが崩壊した日本で人々はどうなったでしょうか?

みんな自分のことで精一杯。自分がどううまく生きるかということを考えるようになります。

ソクラテスの時代もそうだったはずです。

不安定な世の中になり、戦争が起こり、政治は腐敗している。

みんなが利己的になり、人のことを考えなくなる。おそらくそんな空気だったのではないでしょうか。

今の日本と似ている気がします。

当時のアテナイでも政治家はポピュリズムに走り、いかに民衆を口車に乗せるかということばかり考える。

弁論術が重宝されるようになります。

そんな弁論術をお金を取って教えていたのがソフィストです。

代表的な人物がソクラテスより16歳ほど年上のプロタゴラス。

彼は相対主義を武器に弁論術を教え、プロタゴラスは1回のセミナーで軍艦1隻が買えるほどの報酬を得ていたようです。

相対主義とは世の中に絶対的な真理などない。人によって価値は違うという考え方。

この考え方を使えば、弁論で負けることはありません。

だって、「君が言うことは正しい。でも正しいと思わない人もいるよね。」と言えば負けはありません。

当時の政治家たちは大金をはたいて、プロタゴラスに相対主義弁論術を教えてもらっていたというわけです。

それに異を唱えたのがソクラテスです。

ソクラテスは相対主義に対して「いや、世の中には絶対の価値が存在する」と考えたのです。

(これがおそらく後のプラトンの思想=イデア論につながっていく)

そしてソクラテスは毎日アテナイの街に出て、いろんな人をつかまえて問答をしかけたのです。

その問答を記録していったのがプラトンです。

プラトンが生まれたのはスパルタとのペロポネソス戦争に敗北し、アテナイが衰退していく時代でした。

プラトンはアカデメイア(今でいう大学)を開設し、そこで「国家」という本を書きます。

そこで述べていることは「君主は哲学者であるべきだ」ということです。

トップは賢くなきゃだめだよということ。

民主政が腐敗していた時代だったんでしょうね。

そしてアリストテレスはマケドニア王国の支配下にある地域で生まれ、ギリシアの都市国家を制圧しようとする時代に生まれました。

プラトンが開設したアカデメイアに入学し優等生として過ごしますが、プラトンの晩年にアカデメイアを去ります。

マケドニアがいつ攻め込んでくるかわからない時世だったので、マケドニア出身のアリストテレスはアテナイに居づらかったのかもしれません。

しかし最も大きな原因はこの記事の最初に書いた通り、プラトンの哲学に共感できなくなったことでしょう。

このようにアテナイの黄金時代を生きたソクラテス、スパルタに敗れ衰退してくアテナイを生きたプラトン、ギリシャ全域を支配することになるマケドニア出身だったアリストテレス、というようにそれぞれ微妙に異なる時代背景を持つことが、それぞれの思想の違いに影響を与えていることは間違いないでしょう。