プラトンのイデア論をわかりやすく解説します。イデア論とは何かと言われると難しく感じてしまいますが、全然そんなことはありません。洞窟の比喩や善のイデア、イデア論の弱点、プラトンがイデアを発想した理由も考えていきます。

プラトン・イデア論とは要するになんでしょう?

イデアとはものごとの本質のことです。

次の写真を見てください。

これらの動物は何でしょう?

そう、猫ですよね。

上からペルシャ、シャム、スフィンクスという種類の猫です。

毛の長さも、毛の色も、顔の形も、目の色も、大きく違っていますよね?

でも、あなたは、一瞬でこれらの動物が猫だとわかります。

なぜでしょう?

それはあなたが猫の本質(イデア)を知っているからです。

イデアとはものごとの本質と書きましたが、言い換えると真実の姿とも言えます。

このような猫の本質を私たちは経験的に身に着けます。

私たちが赤ん坊の頃、生まれてはじめて見た4本脚で歩く小さな動物。ニャーと鳴く。すごい高さまでピョンと飛び上がる。

言葉を話すようになって「あれなに?」と聞くと「猫ちゃんよ」と教えてくれる。

テレビを見ると、いろんな猫がいることを知る。

こうして私たちの頭の中に、”猫とはこういうもの”というイメージが経験的に出来上がっていきます。

私たちはこのようなイメージが自分の頭の中にあると思っていますが、プラトンはイデアはイデア界(あの世)にあると考えました。

ちょっと難しく言うと、イデア論で重要な点は、イデアは現実の世界とは別に存在していて、イデアこそ真の実在であるということです。

イデアが先にあって、私たちがこの世界で見ているものはイデアの模造品なのです。

イデア論とはイデアと実在(精神と物体)の二元論なのです。

イデアは完全。実在は不完全だとプラトンは考えます。

なぜなら、実在(さっきの猫たち)はいずれ死んで消滅するからです。

イデアは永遠不滅のもの。プラトンはそう考えました。

では、プラトンがイデアを説明するときに使った洞窟の比喩についてみていきましょう。

イデア論を説明する洞窟の比喩とは?

私たちは影を実在だと考えているのではないか?というのがプラトンの考え方です。

子供の頃、影絵って見た記憶ありませんか?

切り抜き絵・人形などを、灯火によって壁や障子などに映し出して見せる芸ですね。

ここに映っている影とは別に本体があるわけですが、私たちはこの影を真の実在だと思っているのではないかということです。

次の写真を見てください。

壁に映る4人の人間です。

この写真の手前に実在の4人の人間がいて、さらにその後方から照らす光によって、壁に影が映っているわけです。

私たちが生まれたときから見ているのはこの影だというのがプラトンの主張です。

洞窟の比喩とは、この影とイデアの関係性を比喩的に述べたものです。

私たち人間は、生まれたときから洞窟の奥の壁面に向かうようにして杭に縛りつけられた囚人なのです。

背後にある光(イデア)を直接見ることができません。

だから、私たちは壁に映る影絵しか見ることができません。

杭に縛りつけられた囚人はその目の前の現象のみを実在と思いこんでいるので、もし振り返ることができて、光(イデア)を直接見たとしても、まぶしくて見るのが苦痛です。

だから結局見慣れた影絵に戻って、そちらを実在だと思うのです。

だから、真の実在(イデア)を見るには、光に目を慣らして、見ようとするトレーニングが必要なのです。

イデアの中でも最高位なのが”善のイデア”

イデアは猫や犬、机や椅子といった物体だけでなく、観念にもイデアがあるとプラトンは考えました。

正義のイデア、美のイデア、愛のイデアといった具合です。

そしてそれぞれのイデアには秩序があり、数々のイデアの中で最高位にあるものが”善のイデア”なのです。

プラトンは著作「国家」の中で”善のイデア”を学習することは人間にとっての最高の目的だと述べています。

プラトンは善のイデアを説明するのに、太陽の比喩を使っています。

太陽の比喩とは、善=太陽の光ということです。

私たちは真っ暗闇の中では何も見ることができません。

花も木も犬も猫も、光がなければ私たちは見ることができません。

一方、もともと目に見えない観念(勇気とか正義とか)は人間の理性によって把握されるわけですが、理性にとっての光が善のイデアです。

光がなければ、犬や猫が見えないように、善がなければ正義や勇気は見えないということです。

その意味で善は太陽の光ということであり、最高位なのです。

ですから、善のイデア自体は存在ではなく、存在の彼方にあるものとされています。

別格なんですね。神様みたいな感覚です。

さて、私たちは直感的に、「そんなイデア界なんてあるわけないじゃん!あるんだったら証明してみろよ!」って思います。

プラトンの弟子であるアリストテレスもそう考えました。

次にイデア論の弱点についてみていきましょう。

イデア論の弱点

この世界には善きものだけでなく、邪悪なものも存在しています。

妬み、嫉妬、殺意、、、

これらにはイデアはないのでしょうか?

イデアが本質である以上、ネガティブなものにも本質はあるはずです。

しかし、プラトンは著作「パルメニデス」の中で次のように述べています。

パルメニデスがプラトンに尋ねます。

「汚物や抜け毛など否定的なものにイデアは存在するか?」

プラトンは答えます。

「否定的なイデアは存在しない」

これでは現実の世界には善しかないことになってしまいます。

戦争や略奪など起こり得ないということになりますね。

イデア論の弱点はまさにこの点にあると思います。

イデア界の存在を証明できない以上に、イデア論は本質を追求するアイデアにはなり得ていません。

プラトンがイデア論を発想した理由

次にプラトンがこのようなイデア論を発想した理由について考えてみます。

プラトンは二人の人物の影響でイデア論にたどり着いたのだと思います。

その二人とはソクラテスとピタゴラスです。

まずはプラトンが生きた時代がどんな時代だったか簡単にまとめます。

プラトンが生きた時代のアテナイは民主制でしたが、衆愚政治となっていました。

まあ、今の日本みたいなものです。

衆愚政治とは、自覚のない無知な民衆による政治のこと。

政治家は内容のないポエム的な弁論で大衆の人気を得ようとします。

そういうときに重要になってくるのが弁論術です。

いかに大衆を扇動できるかということが弁論の目的です。

政治家は討論で負けるわけにはいきません。

そんな時代に負けない大弁論家として名をはせていたのがプロタゴラスというソフィストです。

彼の武器は相対主義。

相対主義とは、何が正しく何が間違っているかということに、絶対的な基準などない。だからみんななんでも好き勝手にして構わない、という考え方。

相対主義を使えば、議論で負けることはありません。

あなたの言っていることは正しい。でもこちらも正しい。

こう言ってしまえば、負けることはありません。

「乃木坂のエースは白石麻衣に決まっている!」

「ああ、確かにそうかもしれない。でも人によっては齋藤飛鳥がエースと思っているよね」

どちらが正しいかは人によって違いますよね。

だから何事も相対化してしまえば、議論で負けることはないんです。

この相対主義を武器として弁論術の大家として君臨したのがプロタゴラスです。

今流に言えば、彼は、たった1回の弁論術セミナーで軍艦が買えるほどの報酬を得ていたそうです。

アンソニー・ロビンズか!という話です。

さて、そんなプロタゴラスに戦いを挑んだのがソクラテスです。

この世には絶対的な真理がある!いや、少なくとも絶対的な真理を求める姿勢こそが素晴らしい!

ソクラテスの考え方は相対主義に対して絶対主義と言えるでしょう。

相対主義VS絶対主義の戦い。

ソクラテスは問答法という対話術で議論を行います。

「勇気とは何ですか?私にはよくわからないので教えてください」

「勇気とは戦場で逃げないことだよ」

「戦場で逃げないことが勇気と言われましたが、四方を敵に囲まれても逃げないことが勇気なのでしょうか?」

こんな風に相手を質問攻めにしていきます。

攻撃は最大の防御という言葉がありますが、相手が答えに窮するまで質問を続けるのです。

プラトンの著作「プロタゴラス」では、ソクラテスとプロタゴラスの議論の場面が描かれています。

ここでソクラテスはプロタゴラスが金銭を受け取って「徳」について教えていることを厳しく批判しています。

プロタゴラスも応戦するのですが、最後には「私としては、ソクラテス、君のその熱意と議論の進め方を称賛したい」としながら、「いまはもう、ほかの用事にかからなければならない時間だ」ということで逃げてしまいます。

ソクラテスの完勝です。

このようにソクラテスは「より善く生きるための絶対的真理を探そうよ!そのために議論しようよ!」という姿勢を貫きました。

ソクラテスの弟子だったプラトンは絶対的真理を求める姿勢に惹かれたのでしょう。

絶対的真理をプラトン流に表現したのがイデアということです。

さらに、もう一人プラトンに影響を与えた人物であるピタゴラスについてです。

イデア界というものを思いついたのはピタゴラスの影響によるところが大きいのではないかと思います。

名前は聞いたことがあるでしょう。数学で習ったピタゴラスの定理を発見した人です。

ピタゴラスという人は時間の捉え方がちょっと変わっていました。

変わっていたというのは、西洋的な意味でということです。

西洋ではキリスト教以降、時間は一直線に流れるものだと捉えます。

生まれてから、死ぬまで、時間は一直線に進みます。

一方、東洋(インド)では、時間の捉え方は一直線ではなく、輪廻すると捉えられます。

ぐるぐる回るということですね。

死んだらまた他のものに生まれ変わるというのが、輪廻転生という考え方です。

ピタゴラスは東洋の輪廻という考え方に影響を受けていました。

この世とあの世をぐるぐる循環するという考え方です。

ここから、あの世での記憶=イデアという考えに至ったのではないかと思います。

以上、プラトンのイデア論について書いてみました。