ビジネスYouTuber 谷口慎治

1971年4月生まれ。岡山県岡山市出身。小売企業在職時、日商120万円平均の白物家電売り場を日商300万円に。その手腕を買われ大手飲食チェーンに転職。平均日商100万円の飲食店を「リサーチ&情報発信」で日商180万円に激変させるなど、その後も結果を多数たたき出す。その功績とノウハウが評価され、グループ内企業の代表取締役に抜擢。3年で退任し飲食業で起業するも大失敗して撤退。その後インターネットビジネスに出会い、筋トレ用サプリメント販売で1商品を1ヵ月で700個以上販売するまでのノウハウを身に着ける。身に着けた情報発信ノウハウで個人事業主、中小企業の集客をサポート。日々、情報発信ノウハウの研究に励んでいる。依頼を受けた企業のBtoBメルマガでは平均開封率30%以上。管理するWEBサイトは月間わずか22,000PVで月商13,500千円を達成。

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ちょっと詳しいプロフィール/まあまあジェットコースターな人生を送ってきました

岡山で出石小学校、桑田中学校、岡山一宮高校と過ごしまして、横浜国立大学に入学しました。大学時代は横浜市中区の関内駅前の吉野屋で深夜バイトをしながら、昼は横浜市中区野毛町という町で塾の先生のアルバイト。大学は1年生のときに最長で5か月くらい行かなかったと思います。当然1年時に取得できた単位は8単位。その当時卒業には140単位くらい必要だったのですが、2年目も懲りずに16単位しか取れず。3年で頑張って60単位くらい取ったのですが、4年生のときに大学から卒業しないでほしいと頼まれて5年生をやることになりました。

何とか5年で卒業し、新卒で株式会社ダイエーに入社。香川県坂出市、今はなきハイパーマート坂出店というお店で電気売場の担当をしていました。1996年の入社ですから、ちょうどバブルがはじけた直後です。大学の2年先輩までは超売り手市場だったので、内定決まるまで企業に接待されたという話を聞いていたのですが、僕の時代には春から一気に冬になっていました。そしてダイエーも僕が入社したくらいが頂点で、そこから坂を転げ落ちるように転落。僕はダイエーが転落しきる前の1999年に父がガンで亡くなったのをきっかけにダイエーを退社しました。

そして株式会社サンマルクに転職し、東京都武蔵野市にあったサンマルク西久保店に配属になりました。飲食店で働いた経験がある方ならみんな同じだと思いますが、まあよく働きました。繁忙期は朝6時から夜中2時までとか普通にやってましたからね。コックコートのままアパートに帰って、そのまま寝て3時間後にまた出勤とか。もちろんいつもこれだと死んじゃいますが。1年で一番きつかったのがクリスマスシーズン。このシーズンは特に大変でした。でもなんだかんだ文句言いながら楽しくやっていた気がします。2年ほど勤務して店長になりました。3年くらい店長やってスーパーバイザーになり、何の拍子か担当店舗の業績が上がったのです。そんなタイミングで(残念ながら亡くなられましたが)当時のサンマルクの社長が、そのときサンマルクが運営していたいくつかの業態(カフェとか回転寿司とかパスタとか)を分社化するという決定をされて、社内で取締役を選抜するという当時としては大胆というか画期的な決断をされました。そこで当時の僕の上司に選抜試験受けろと言っていただいて筆記試験に臨みます。筆記試験はなんだかかなりいい成績だったみたいで、経営陣に面談していただくことに。それも運よくパスして株式会社鎌倉パスタの代表取締役にしていただきました。外から見ると、トントン拍子で出世した感じですね。

しかしここで調子に乗ってしまいます。なんだか自分が偉くなった気がしたんでしょうね。経営の実力が伴っていないのに、年間20店舗程度の出店を続け、年商数十億円規模の会社のトップなど務まるはずもありません。3期代表取締役を務めましたがすべて予算をクリアすることはできませんでした。当然上からの圧力は強まります。そのプレッシャーに耐えられず、本社の取締役に反発して退任しました。端的にいうと逃げただけです。ただ、このとき「転職してサラリーマンの下っ端なんかやってられるか!」というおかしなプライドだけが残ってしまい、 道を誤ります。

「見とけよ!独立して見返してやらぁー!」と自宅マンションを担保に入れて政策金融公庫から金を借りて、2008年7月、居酒屋を出店しました。ただ意地だけで独立したわけです。何のビジョンも戦略もありません。確かに飲食業のノウハウは身に着けていたと思いますが、それは全国チェーンのノウハウ。個人店が生き残るノウハウとは違いました。そしてこれまでの自分の仕事はすべて受け身でこなしてきたことに気付いていなかったのです。鎌倉パスタの代表取締役とはいえ、しょせんは雇われ社長。サラリーマン気分がまったく抜けていなかったのです。考えてみればそれまでも主体的に自分の意思をもって仕事をしてきたわけではなく、上から言われることをこなしていただけでした。 そんな男の末路は知れています。

結果は1年半で撤退、会社をたたみます。政策金融公庫から借りた金を返すために自宅マンションを売却して実家に出戻りました。売却したマンションは妻がめちゃくちゃ気にいって購入したマンションだったので、大泣きされます。「さすがに離婚かな」と覚悟していたのですが、「あなたは私がついていないとダメになるから」と言ってついてきてくれました。借金したとき以上に大きな負債を抱えた気分でしたが、それはマイナスの気持ちではなく、何とかしてこの借りを返していく!という前向きなモチベーションとなります。しかし現実は目の前の生活をしていかなければならないので再びサラリーマンに戻ることに。そんなときに出会ったのがインターネットビジネス、アフィリエイトでした。2011年、当時はまだガラケーが全盛の時代でした。携帯アフィリエイトからスタートし、サイトアフィリエイト、ワードプレスを使ったブログアフィリエイトと進み、月間のアフィリエイト報酬は最高で300万円を超えました。

そして再び独立します。しかしアフィリエイト報酬というのは実に不安定です。グーグルの匙加減ひとつで、100万円の報酬を得た翌月に3万円とかになったりするのがアフィリエイトの世界。独立してほどなく報酬は全盛期の1/100程度になりました。しかし、ゼロになっても半年くらい死ぬ気でやれば生活できるくらいの報酬を得ることができるのもアフィリエイトの世界。

しかし長くアフィリエイトを続けているとアフィリエイト業界の闇の部分も見えてきます。詐欺レベルの情報商材や、効果がないどころか体に悪い可能性のあるサプリメントなどを言葉巧みに売りつける一部のクズアフィリエイターの存在によって、アフィリエイターは一括りに世間から蔑まれているように感じます。金さえ稼げれば著作権など無視、オールOKな人間が実際にいますから。もちろん素晴らしい価値観を持ったアフィリエイターも何人も知っていますが、闇のほうが深い。だからこそGoogleはアフィリエイトサイトを排除しにかかっているのではないでしょうか。多くのアフィリエイターは自分がすべて。社会にマイナスの影響を与えようが(ちょっと前に大バッシングを受けたWELQみたいな)関係ないんです。

そんなこと考えているとアフィリエイト記事書くのが嫌になってきました。前々から自分の子どもにも自分の仕事について誇りを持って話せないなという引け目みたいなものもあったし。僕の個人的な意識として社会的に存在意義を感じられないビジネスだったんです。

でも、アフィリエイターのスキルってすごいんですよ。集客・コンバージョンするキーワード選定力、キーワードからユーザーの意図・ニーズを把握する能力、検索エンジンで上位表示させる能力など、トップアフィリエイターのスキルは「売る仕組みを構築する」という点において、プロのマーケターレベルです。

僕もPVを最大化するブログを構築するのはあまり得意ではありませんが、狙ったキーワードで上位表示を獲得することは得意です。あるブログでは狙ったキーワード148個中、1位が53個、3位以内に100個入っています。上位表示の定義をグーグルで3位以内に入るということだとすれば、7割弱は上位表示させることができます。

ブログのマネタイズをグーグルアドセンスに求めるなら、PVを最大化することがすべてですが、コンバージョンを求めるなら、PV数はあまり関係ありません。いかに検索上位するかのほうが重要です。

このアフィリエイトで培ったスキルをもっと自分自身が社会的意義を感じられることに使えないかと考えるうちに、「そうだ、企業のお手伝いをしよう」と思うようになりました。いい商品を持っているのに売り方が悪くて売れないという悩みを持っている企業はたくさんあるのではないかと。そしてまたWEBで集客するスキルをこれから身に着けたという方に役立つ情報を発信できればと思っています。