シーロ・ゲーラ監督「彷徨える河」の感想とネタバレ解説です。

難しいけど、面白い!

3回見て、ようやくテーマと構造が理解できました。

この映画は

●失われた先住民の文化を見直す映画
●アマゾン先住民の文化を破壊した白人への批判映画

ではありません

先住民が自分たちの文化を守るためには、テクノロジー(西洋)を取り入れるべきか、断固拒絶するべきか

こう問いかけているのです。

監督シーロ・ゲーラが、本作で出した答えは「テクノロジーを受け入れる(しかない)」ということでしょう。

(しかし次作のグリーンフロンティアではその結論をひっくり返しています)

今回は、シーロ・ゲーラ「彷徨える河」の感想とネタバレ解説、そしてこの映画はどう見るべきかについて書いていきます。

彷徨える河の感想をつらつらと

●1回見ただけじゃ、さっぱりわからん

●最後のほう、宇宙のシーンを際立たせるために白黒にしたんだろうけど、全編カラーのほうが迫力出るよ、絶対に

●「チュジャチャキ」の音韻がなんかめっちゃ気に入った!

●意味ありげなセリフがたくさんありすぎて理解するのが大変

●謎がいっぱい残ったまま。テーマには直接関わらないからいいのかな?

●カラマカテはなぜ記憶を失ったのか?

●カラマカテはなぜエヴァンに奥義を伝承したのか?(最大の謎)

●カラテマカはエヴァンとの旅で記憶を取り戻したのか?

●コンパスを取り戻そうとするテオにカラテマカはなぜ反対するのか?

●カーピってなんだ?これが今だにわからない

彷徨える河 あらすじ

ゴム農園の経営のため白人に滅ぼされたアマゾンのある先住民族のただ一人の生き残りであるカラマカテのもとに白人(テオ)が訪れる。

彼は重い病気に罹っておりシャーマンであるカラマカテのもとに治療を依頼に来たのだった。

白人を忌み嫌うカラマカテは最初は拒否する。しかし最終的にテオを治療できる

アマゾンの植物や民族を調査する聖なる植 物ヤクルナを求めてカヌーを漕いで旅に出る。

数十年後、ヤクルナを求めるアメリカ人植物学者(エヴァン)との出会いによって再び旅に出る。

カラマカテは孤独の影響か記憶を失っており、エヴァンとの旅は記憶を取り戻す旅でもあった。

現在の記憶を失ったカラマカテと若き日のカラマカテの2つの時間軸が交互に描かれる。

彷徨える河 どう見るべきか解説 

1回見ただけで理解できる人はスゴイです。

僕は1回目見たときには、構造すら理解できず、それでもなんか重要なことを伝えようとしている映画なんだろうなくらいしか感じ取れませんでした。

2回目に見たときに、現在と過去が交互に描かれているという構造を理解しました。

3回目を見て、やっと意味と意図をくみ取りながら見ることができました。

この映画は、1909年の出来事(カラマカテ、テオ、マンドゥカ3人の旅)とテオが書いた本を見たことで興味を持ったアメリカ人学者エヴァンが1940年にカラマカテを訪ねて旅をするという、1909年と1940年の旅が交互に描かれます。

そして1909年の旅で訪れた場所を1940年にも訪れます。

過去に訪れた場所が現在どうなっているかを示すことで、白人の利己性、無責任さを批判しているのでしょう。

それが表れているのが54分ごろ。アマゾンの中にある布教区域での出来事です。

アマゾンにキリスト教を布教にきた宣教師がいて、原住民の子供たちを文明化しようとします。

そこの宣教師はこんなセリフを口にします。

人を食う習慣から遠ざけ 知識を与える

まさに西洋中心主義のお節介です。

西洋の歴史観は自分たちが歴史の最先端にいて、未開な民族を導いてやらねばならないという自己中心性を持っています。

ちなみに、そのような西洋史観を批判したのが文化人類学者のレヴィストロースでした。

レヴィストロースの構造主義はまた別の記事にするとして、話を進めます。

カラマカテ、テオ、マンドゥカの3名が訪れたその布教地区に、数十年後、今度は年老いたカラマカテとエヴァンが訪れます。

するとそこは完全にカルト化していました。メシアを自称するイカれた白人が先住民を支配している様子が描かれます。

先住民の信仰はアニミズムのはずですが、そのイカれた白人を救世主として崇めているわけです。

完全に先住民の文化を破壊していることへの批判ではないでしょうか。

途中までは僕も白人が先住民の文化を破壊したことへの批判映画だろうなと思ってみていました。

しかし、ラストシーンを考えると、どうやらそうではないことに気付きます。

カラマカテとエヴァンの最後のやり取りはこうです。

エヴァン:あなたを殺そうとした
カラマカテ:私も同じだ 昔君を殺した 昨日なのか 百年前なのか それとも大昔か だが君は帰ってきた 私が伝えるべきなのは同胞でなく君だ
望まれた以上を与えよ 歌を伝えよ 目にしたこと感じたことを全て伝え 完全なる人になれ これでコイワノ族の一員だ

エヴァンをコイワノ族の一員として認め、カラマカテの知識を伝えることにしたのです。

ここを理解するのは非常に複雑ですし、人によって解釈は変わるでしょうが、僕の解釈は次のようになります。

若かりしカラマカテは、先住民の伝統を同胞に伝えなければならないと思っていました。

しかし白人の収奪により、カラマカテのコイワノ族は全滅させられ、カラマカテは孤独に暮していました。

そこに現れたのがテオでした。テオは病気を治すために幻の植物ヤクルナ(たぶん酩酊植物)を求めています。

しかし白人に部族を殺されたカラマカテは白人を忌み嫌っています。助けを求められても相手にしません。

しかし、テオはコイワノ族の生き残りがいると言います。

そしてヤクルナはコイワノ族が育てている植物。

生き残りと会いたいカラマカテとヤクルナを欲するテオの利害が一致したことで旅が始まります。

旅の最後でコイワノ族の生き残りの集落にたどり着きますが、そこでは生き残りたちがヤクルナでラリっていました。

部族の栄光そのものであるヤクルナをそのようなことに使っていることに我慢できないカラマカテはヤクルナの木を焼き払います。

そこからなぜカラマカテが記憶を失ったのかはわかりませんが、数十年後、今度はエヴァンとヤクルナを探す旅に出ました。

カラマカテは記憶を少しずつ取り戻しながら、最後に自分が焼き払ったヤクルナの木にたどり着きました。

先にも書いたように、そこでエヴァンをコイワノ族と認め、知識を渡します。

しかしどうしてもこの流れが理解できないんです。

なぜ、白人を忌み嫌っていたカラマカテがエヴァンに知識を渡したのか?

若き日のカラマカテは伝統を守るにはテクノロジー(西洋)を徹底排除すべきだと考えていたはずなのです。

この心変わりの理由が映画内で示されていないように思うのです。

推測するならば、今や先住民は堕落して、伝統を守るのも西洋の庇護がなければ難しいという状況にカラマカテは諦めを感じたのでしょうか。

そしてかつてテオを交わし会話を思い出したのでしょうか?

テオ:君は逃げてるだけだろう 世界から孤立して 君も周りの世界に目を向けるべきだ 自分の物語を語ってくれ 私がドイツの人々に伝えよう 君の文化は生き続ける 

これをエヴァンに託したということでしょうか。

ここの解釈は人それぞれ。だからこそ楽しめる映画といえるのです。