「万物の根源は水である」という言葉を口にしたのは古代ギリシアの哲学者タレス。

古代ギリシアでは「万物の根源」のことを「アルケー」と言っていたので、カッコよく言うと、「アルケーは水である」となります。

アリストテレスによれば、タレスこそ最初の哲学者ということです。

でも、現代で「万物の根源は水である」って言われたら、笑うどころか、「この人、頭大丈夫?」ってなりますよね。

今なら「万物の根源は素粒子である」と言うべきなのでしょうか。

今では誰もが間違いであると知っている「万物の根源は水である」という言葉ですが、タレスの本当の凄さはこの言葉にあるのではありません。

この記事では古代ギリシアの哲学者タレスの思想と本当の凄さをお伝えします。

タレスとはどんな人物?

タレス(BC624年~BC546年頃)は記録に残っている最も古い哲学者です。

タレスはギリシアの向かいにあるイオニア地方の海沿いの街ミレトスの出身です。

ミレトス出身なので、ミレトス学派の祖と言われ、ギリシア七賢人の一人ともされている偉大な人物です。

著作は遺されていません。

「万物の根源は水である」という言葉は「観察」によって導き出した言葉です。

タレスは自然を観察するうちに、生きているものには熱があって、湿り気がある一方で、枯れ草や死んだ動物には湿り気がないことに気付きました。

息絶えた動物は干からびてしまいますからね。

そんな観察から出てきた言葉が「万物の根源は水である」という言葉でした。

またタレスは自然科学にも通じていました。

紀元前585年の日食を予言したり、自分の影の長さと身長から、ピラミッドの高さを測定したり、タレスの定理という数学上の定理を発見したり、幾何学・天文学にも精通していました。

そんなタレスは天文学の知識を用いてレンタル事業で大儲けをしたこともあったそうですよ。

ある年の冬に、次のシーズンのオリーブが豊作になることを天文学の知識を応用して予測したタレスは、冬のうちにオリーブの圧搾機をすべて借り上げました。

そしてオリーブの収穫時期に圧搾機をレンタルすることで大儲けしたそうです。

タレスの本当の凄さとは?

さて、そんなタレスの人物像を一通り見たところで、タレスの何がすごかったのかについて書いてみます。

タレスの凄さについて結論から言うと、「神様抜きで世界を説明しようとした」ということです。

タレスの時代のギリシアは神話によってすべてが説明されていました。

世界を作ったのは神様だと考えていたのです。

ゼウスとかポセイドンとかアポロンとか、ギリシア神話にはいろんな神様が登場しますよね。

この時代は神様抜きに何かを考えることは”普通”ではなかった。

神様抜きに「世界が何からできているか」を考えるなんて、おかしな人だったはずです。

天動説が主流だった中世ヨーロッパで地動説を唱えたコペルニクスやガリレイみたいなものでしょう。

当時は相当変な人だったと思います。

まわりの人は「世界は神様が作った」と考えているのに、「万物の根源は水である」なんて言ったわけですから。

この言葉には神様は登場しません。

タレスは神様抜きで「世界が何からできているか」を考えようとした最初の人ということになるでしょう。

これがタレスの本当の凄さだと思います。

周りの人間とはまったく違った視点で物事を考えることができる人というのは、今も昔もスゴイ人に違いありません。

では、なぜタレスはこんな考え方をすることができたのでしょうか?

それは、タレスがミレトスの出身だったことと関係があります。

ミレトスはギリシアの植民都市でしたが、地理的にもともとはギリシア文化の影響よりアジアの影響のほうが大きかったでしょう。

またミレトスは港町として栄えていて、エジプトなどの地域とも交流がありました。

つまりさまざまな文化と触れ合うことができる地理的条件を備えていたのです。

自分とは異なる文化を知ると、自分の価値観が唯一絶対のものではないことに気付きます。

世界中どこでもギリシアの神様が絶対だと思っていたら、どうも違うらしいぞ・・・ということに気付くでしょう。

他の地域には違う神様がいるらしいということになれば、自分たちの神様への信頼も揺らぐというものです。

すると、中には世界中に通用する絶対の真理について考える人も出てくるわけです。

それが「万物の根源は水である」と言ったタレスであり、「いや、万物の根源は火である」といったヘラクレイトスであり、「万物の根源はアトムである」と言ったデモクリトスであったということです。

これまで見てきたように、タレスの本当のすごさは、神話がすべてを支配する世界において、世界の真理を神様抜きに考えようとしたことだと思うのです。

しかし、蛇足ではありますが、ここで思ってしまうのは、タレスがもしミレトスではなく、ギリシア本土に生まれていたら、この考え方ができただろうかということです。

おそらくできていなかったんじゃないでしょうか。

人は自由に考えているようで、実は自分の生まれ育った環境に大きく制約されている・・・。

レヴィストロースの構造主義を思い起こしました。

構造主義についてはまたガッツリ書きたいと思います。