ビジネスYouTuber 谷口慎治

1971年4月生まれ。岡山県岡山市出身。小売企業在職時、日商120万円平均の白物家電売り場を日商300万円に。その手腕を買われ大手飲食チェーンに転職。平均日商100万円の飲食店を「リサーチ&情報発信」で日商180万円に激変させるなど、その後も結果を多数たたき出す。その功績とノウハウが評価され、グループ内企業の代表取締役に抜擢。3年で退任し飲食業で起業するも大失敗して撤退。その後インターネットビジネスに出会い、筋トレ用サプリメント販売で1商品を1ヵ月で700個以上販売するまでのノウハウを身に着ける。身に着けた情報発信ノウハウで個人事業主、小規模企業の集客をサポート。日々、情報発信ノウハウの研究に励んでいる。

YouTubeに初めて動画を投稿したのは2015年でした。アフィリエイトがきっかけです。Huluというオンライン動画配信サービスを利用されている方も多いと思いますが、アフィリエイトでHuluを紹介すると1件成約で1,000円の報酬がもらえるんですよね。Huluで配信されるドラマとか映画、アニメの情報を動画を作ってYouTubeにアップして紹介するという流れです。Huluのアフィリエイトプログラムだけで、だいたい月に7万~8万円の報酬が半年くらい続きました。その後アカウント停止されましたが(泣)。そりゃそうです。動画といっても、写真を数枚集めたスライドショーに過ぎないものでしたから。でもこのときに編集ソフトの使い方や編集テクニックを身に着けました。今はYouTubeを使ってのアフィリエイトはやっていないのでよくわかりませんが、もうスライドショー的な動画ではアフィリエイトどころか、YouTubeの広告収入を得ることもできないでしょうね。

ただ、そのときに動画の編集って楽しいなという感覚があって、その後、岡山市内の観光名所で撮影をして編集するために、カメラ、スタビライザー、三脚、マイク、レフ版、ライトなど撮影機材一式をそろえて、撮影・編集のテクニックを研究しました。でも自分自身のYouTubeチャンネルを作ったのは、YouTubeをはじめてからずっと後で2019年10月です。その月には1ヵ月で100本の動画を投稿しました。現在は「1年で1000本の動画を投稿したら何が起こるか?」の実験をしています。「人生は巨大な実験室」というマインドセットのもと、さまざまな実験結果をメルマガで配信していきます。

さて、ここからは僕のこれまでの人生を紹介しますので、お時間ない方はスルーしてください。

簡単に図で説明すると僕のこれまでの人生はこんな感じです。

岡山で出石小学校、桑田中学校、岡山一宮高校と過ごしまして、横浜国立大学に入学しました。大学時代は横浜市中区の関内駅前の吉野屋で深夜バイトをしながら、昼は横浜市中区野毛町という町で塾の先生のアルバイト。大学は1年生のときに最長で5か月くらい行かなかったと思います。当然1年時に取得できた単位は8単位。その当時卒業には140単位くらい必要だったのですが、2年目も懲りずに16単位しか取れず。3年で頑張って60単位くらい取ったのですが、4年生のときに大学から卒業しないでほしいと頼まれて5年生をやることになりました。

何とか5年で卒業し、新卒で株式会社ダイエーに入社。香川県坂出市、今はなきハイパーマート坂出店というお店で電気売場の担当をしていました。1996年の入社ですから、ちょうどバブルがはじけた直後です。大学の2年先輩までは超売り手市場だったので、内定決まるまで企業に接待されたという話を聞いていたのですが、僕の時代には春から一気に冬になっていました。そしてダイエーも僕が入社したくらいが頂点で、そこから坂を転げ落ちるように転落。僕はダイエーが転落しきる前の1999年に父がガンで亡くなったのをきっかけにダイエーを退社しました。

そして株式会社サンマルクに転職し、東京都武蔵野市にあったサンマルク西久保店に配属になりました。飲食店で働いた経験がある方ならみんな同じだと思いますが、まあよく働きました。繁忙期は朝6時から夜中2時までとか普通にやってましたからね。コックコートのままアパートに帰って、そのまま寝て3時間後にまた出勤とか。もちろんいつもこれだと死んじゃいますが。1年で一番きつかったのがクリスマスシーズン。このシーズンは特に大変でした。でもなんだかんだ文句言いながら楽しくやっていた気がします。2年ほど勤務して店長になりました。3年くらい店長やってスーパーバイザーになり、何の拍子か担当店舗の業績が上がったのです。そんなタイミングで(残念ながら亡くなられましたが)当時のサンマルクの片山社長が、そのときサンマルクが運営していたいくつかの業態(カフェとか回転寿司とかパスタとか)を分社化するという決定をされて、社内で取締役を選抜するという当時としては大胆というか画期的な決断をされました。そこで当時の僕の上司に選抜試験受けろと言っていただいて筆記試験に臨みます。筆記試験はなんだかかなりいい成績だったみたいで、経営陣に面談していただくことに。それも運よくパスして株式会社鎌倉パスタの代表取締役にしていただきました。外から見ると、トントン拍子で出世した感じですね。

しかしここで調子に乗ってしまいます。なんだか自分が偉くなった気がしたんでしょうね。経営の実力が伴っていないのに、年間20店舗程度の出店を続け、年商数十億円規模の会社のトップなど務まるはずもありません。3期代表取締役を務めましたがすべて予算をクリアすることはできませんでした。当然上からの圧力は強まります。そのプレッシャーに耐えられず、本社の取締役に反発して退任しました。端的にいうと逃げただけです。ただ、このとき「転職してサラリーマンの下っ端なんかやってられるか!」というおかしなプライドだけが残ってしまい、 道を誤ります。

「見とけよ!独立して見返してやらぁー!」と自宅マンションを担保に入れて政策金融公庫から金を借りて、2008年7月、居酒屋を出店しました。ただ意地だけで独立したわけです。何のビジョンも戦略もありません。確かに飲食業のノウハウは身に着けていたと思いますが、それは全国チェーンのノウハウ。個人店が生き残るノウハウとは違いました。そしてこれまでの自分の仕事はすべて受け身でこなしてきたことに気付いていなかったのです。鎌倉パスタの代表取締役とはいえ、しょせんは雇われ社長。サラリーマン気分がまったく抜けていなかったのです。考えてみればそれまでも主体的に自分の意思をもって仕事をしてきたわけではなく、上から言われることをこなしていただけでした。 そんな男の末路は知れています。

結果は1年半で撤退、会社をたたみます。政策金融公庫から借りた金を返すために自宅マンションを売却して実家に出戻りました。売却したマンションは妻がめちゃくちゃ気にいって購入したマンションだったので、大泣きされます。「さすがに離婚かな」と覚悟していたのですが、「あなたは私がついていないとダメになるから」と言ってついてきてくれました。借金したとき以上に大きな負債を抱えた気分でしたが、それはマイナスの気持ちではなく、何とかしてこの借りを返していく!という前向きなモチベーションとなります。しかし現実は目の前の生活をしていかなければならないので再びサラリーマンに戻ることに。そんなときに出会ったのがインターネットビジネス、アフィリエイトでした。2011年、当時はまだガラケーが全盛の時代でした。携帯アフィリエイトからスタートし、サイトアフィリエイト、ワードプレスを使ったブログアフィリエイトと進み、月間のアフィリエイト報酬は最高で300万円を超えたこともありました。

そして再び独立します。しかしアフィリエイト報酬が不安定なことはそれまでの経験から知っていました。100万円の報酬を得た翌月に3万円とかになったりするのがアフィリエイトの世界。アフィリエイトだけで食っていけるとは思っていなかったので、ネットビジネスだけでなく、リアルビジネスに軸足を移すべく、日報コンサルタントというフランチャイズでのコンサルタント事業をはじめます。これは小規模企業の経営者に日報を書いてもらい、時間の使い方を見直して生産性を高めるとともに、日々の気付きを実行に移すことで会社の売上を上げる環境を提供するというコンサルビジネス。コンサルタントというと、何らかの具体的アドバイスを提供するイメージですが、日報コンサルタントは違います。応援日報という呼称があるのですが、これは何らかのアドバイスをするというより、クライアント社長の中にあるものを引き出し行動に結びつけるお手伝いをするコンサルタントだということです。

事業開始当初はいくつかの契約をいただき、順調なスタートだったのですが、やっていくうちに、僕はコンサル向きの人間ではないかもと気付き始めます。つまり人を応援して成果を上げていただくというより、自分自身で何かを作りたいというタイプなのだと思い始めたのです。

言葉を変えてわざと極端に表現するならば、僕の本質はコンサルタントというクライアントの伴走者ではなく、映画監督やディレクターのように「俺が作りたいものはこれだ!こうやって!」と言いたいタイプなのだということです。こういうタイプってコンサルタントには向いていないですよね(笑)もちろん技術として相手の話を聞いて、今までの経験からアドバイスをするということは学んでいて、それなりにできる自負はあるのですが、本質は違ったということです。

このことに気付くまでにずいぶん時間がかかりました。アフィリエイトで下手に成功体験があったことも影響しているかもしれません。アフィリエイトというビジネスは自分の商品ではなく、人様の商品を売って販売手数料をいただくビジネスですから、自分を表現しなくても売ることができるのです。そのほうが楽だし。自分や自分の考えを表現するのって勇気がいるし、痛い思いをしなければならないことも多いですからね。

でも、YouTubeをはじめて、自分や自分の考えを表現することに面白さを感じるようになりました。自分を画して人の商品を売る記事を書くより、YouTubeで自分を表現するほうが、僕にとっては圧倒的に楽しいことだと気付くことができたのです。

だから、良い商品やサービスを持っているのに、世の中に発信・表現できていないためにビジネスがうまくいっていない人に、自分を世に出す楽しさを知ってほしい、伝えたいと思ったのがYouTubeをはじめた理由です。